人の”人格”って
その人の心そのものであり
その人が生きてきた道だけが
ただ、形作るそのもので
それを否定するということは
人生を否定するのと変わりない
そういうものだと私は思う。

誰しも人格を否定されるようなことを言われると
嫌な気分になるものだろうけど
それは自分を否定されたというより
自分の生きてきた道
選ばなければならなかったときに選んできた道
これまでに自分が軸にして信じてきたもの
それらを否定されるのと同じだからじゃないのかな。

否定がなければ前には進めないし
自分は正しいと思っているだけではつまずいてしまう
別の正義を生きる人の意見はきっと糧になるけれど
それでも人格は生きてきた道であり
もっとわかりやすく具体的に言うならば
今までの人生でのすべての行動の積み重ねなんだよね。
だからこそ、今から変えようと思ってすぐ
変えることは不可能だし
それでも変えていかなくちゃいけないのは
自分にとって正しい自分である”人格”ではなく
そのさきにある”行動”なんだろう。
そしてその行動の積み重ねが
この先のさらなる人格に繋がっていくんだよなあ。

みんなにとっての正しさなんて
この世には存在しないからこそ
自分は正しいと自信を持っていい。
もっと、自分に誇りと自信を持って生きていい。
自分の正しさに従った結果、正しくない行動をしてしまったら
その行動を正していけばいいだけなんだ。
シンプルで複雑なのが人の心だ。

生きてきた道は変えられないけど
生きる道は選んでいける。

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