自分は野生の狼だと
野山を駆け回り狩りをする一匹狼だと
息巻いて吠えるばかりの
ちっぽけで気性の荒い、だけども飼いならされた犬だ

きっとどんなに吠えても咬み付いても
狼にはなれなくて
人の手を離れて駆け出せば
すぐに生きていく術を失ってしまう

それでも飼いならされた人生が嫌だ
そういう犬は、どうすればいいんだろうか。

いい加減、自分のちっぽけさを認めていかないと
次のステージに進めずに、理想と現実のギャップに
なにもかもがおもしろくなくなって
やーめたって、言いたくなるところまできてしまっている気がする。
何をやっても伸びていた、若い頃とはもう違うのだと
いよいよなりたくなかった、大人になってしまったのだなあと
痛感する日々。
スタートダッシュで全力だしすぎて
ガス欠でなんとか動いてるような状態なのに
風を切り世間を追い越し目標へとまっすぐ向かう爽快感を
忘れられなくて、どうしてこうなったんだってずっと、思い続けている。

昔から、結果を出すことを求められ続けてきた
あんまり褒められなくって、もっと上を、もっと上をって
そうやって育てられてきたから、
根本的な考え方の癖として、それが抜けないというのは
あるんだと思う。
でもきっと、それは親なりの子供のしつけだったんだろう。
おとなになった今、どんなに思い描いたものと違ったとしても
今は成長するための考えから抜け出して
大人としてしっかりと立って、歩く方法を
自分で考えて、みつけていけなければならないんだと思う。
もう、この呪縛から開放されていいのかもしれない。
できあがってしまったちっぽけな自分を
ありのまま受け入れて、愛してあげていいのかもしれない。
よく頑張ったなって。

狼になれなくても、小さくて弱くても
鎖からはずれて、彷徨って、人に餌付けされながら
野生のフリをするただの飼いならされた犬でも、
その生き方もまた、たどり着いてしまった私にとっては
正しいひとつの生き方なのかもしれない。

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